資料作りは、ピアノの演奏会と似ている

ピアノの演奏会に出演して、
演奏を観客に聞いてもらうと、嬉しいものです。
そのために、日々の練習を頑張って、
腕を磨こうとします。
もし、見られないなら、
練習をさぼりがちになります。
腕を磨こうと、思わなくなるかもしれません。


会社の資料作りも同じところがあります。
毎月の会議の場で、自分の作った資料を見てくれる人がいるから、
少しでも役に立とうと、
日々の資料作りを頑張って、
腕を磨こうとします。

もし、
だれも見てくれなかったら・・・
誰にも使われなかったら・・・
会社の業績目標に貢献できないものだったら・・・
提出したけど、あまり見られずに机の引き出しにきれいに保管されるだけなら・・・

資料作りは、
必要とされて、初めて、役に立ちます。
数値の精度があがります。
意味のある資料になっていくものです。

必要とされなく、業績向上のために使用されないなら、
目的を失った仕事となり、
惰性で作成され、締りのない、焦点のあってない資料が産出されます。

そんな環境下で、
入力したデータや数値や文字や日付が間違っていると
指摘されても、
「たいがいにせい!」っと言いたくなるものです。

必要とされないのに、役に立てられてないのに、活用されてないのに、
「資料だけは精度を上げて、正確に作れ」といわれても
無茶な話です。

資料作りは
見る人がいて成り立つ仕事です。

片方だけでは存在できません。

・粗利を上げるための資料作り
・受注を追うための資料作り、
・会社を存続するための資料作り、
・売掛金の回収漏れがないようにするための資料作り、
などなど、
目的はあり、
目的が達成できるように、資料作りを頑張っているのですが、
あまり活用されずに
見る力もない人に渡すだけなら、
資料作りは惰性的になってしまいます。
腕も落ちてしまいます。

管理者が目標に向かっているという姿勢を見せることが大事です。
目標達成のために、現況を知るためのバロメーターとして、
役に立つ資料を提供してほしいと、資料作り担当者に願うなら、
やりがいがあります。

とにかく、
見られない資料作りで、
ミスをするなと言われると、
疑問だけが残ります。

これまでは、
よくわからない目的のための資料作りが多かったのではないでしょうか。
これからは、
粗利を追うための資料作りの一点に集中することが大事です。

そしたら、利益が残るようになります。